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良い修理や調整は”見えない橋を架けるようなもの”

──アドリアンさん、パッドがフルートの性格を変えるというお話でしたが、それはどういうことですか?
 
A 私自身、長年いろいろな種類のパッドを試してきました。仲間のフルート奏者や修理技術者に薦められたものがほとんどです。私もそのあたりに大変興味があるので、リスクを承知で試してきました。ごく稀に、結果が良くなくて元に戻してもらったりもしましたが、多くの場合ではとても良い結果が出て、その改善されたパッドを他のプレイヤーや製作者にもお薦めしました。
 
──パッドの表面部分の、スキン(ブラダー)に関わる改善でしょうか。
 
A いえ、パッドの内部がどういう素材でどういう構造になっているか、ということが大変重要なようです。
 
野村 ある種類のパッドがある楽器でうまく機能するからといっても、他の楽器にも同じように使えるとは限らないようです。またいくつかのフルートは特定の種類のパッドを前提に作られていて、それは設計の一部なのです。そういった場合、別の種類のパッドに交換することも技術的には可能かもしれませんが、楽器の特性やバランスを大きく変えてしまうことから、事前に極めて慎重な考察を必要とします。一方で、当店にお越しになるお客様からは、部品をまったく交換しなくても調整の仕方ひとつで、別の楽器のように響きが良くなったというご感想をいただくこともよくあります。どういう種類のパッドを使うかということと同じくらい、それをどう調整し仕上げるかが決定的なのだと思います。
 
A 修理をするうえで、一番大切なことは何でしょう?前の状態よりも良くすることなのか、それとも標準の状態に戻すことなのでしょうか。
 
野村 工場出荷された時の標準的な状態を想定できることは、様々な局面において状況判断の助けになると思います。その一方、奏者の個人差や好み、そして好むと好まざるとに関わらず、慣れというものもあります。
 
A お客さんはそれぞれの好みを具体的に言われますか?
 
野村 そういう方もいらっしゃいます。そうでない場合はコンサルティングの中で探し当てていき、それに沿った作業をします。私の立場から「標準設定に戻しておきましたから、あとは練習で何とかしてください」と申し上げるのは、あまり現実的ではない気がしますので。
 
A それでは納得されませんよね(笑)。
 
野村 仮にそうして楽器をお持ち帰りいただいたとしても、心の底からは満足されないだろうと思います。また、「私はこの状態がいいと思うからこれで吹いてください」というのも解決にはなりません。私個人が良いと思っても、その状態が持ち主にとって本当に良いという保証はどこにもないですから。先ほどのパッドの話とも関連しますが、良い修理や調整というのは、私にとっては見えない橋を架けるようなものだと感じます。フルートの管体とメカニズム、足部管を含めたフルート本体と頭部管、そして最終的にはもちろん楽器全体と奏者など、リンクすべき要素が多々ある中でそれらをつなぐ小さな見えない橋を渡し、それによってどこへでも自由自在に行けるようにする、そんなイメージを持っています。それぞれの楽器がもつ設計理念や個性は大前提としてもちろん尊重しますが、個々のフルートが本来持っている性格の範疇で、個別のセットアップをする可能性も残されていると感じます。そのあたりのバランスの取り方が、修理において一番大切なことだと思います。それはまた、私が原則として郵送での受付をお断りし、必ずご来店をお願いする理由でもあります。お客様と実際にお会いし、楽器を見せていただき、時には音を聴かせていただくことが必要だからです。
 
A まさにフルートのお医者さんですね。お医者さんは「電話越しに診察はできないし、できてもそれは得策ではない」と言います。患者さんと直接会う必要があると。
 
野村 はい。修理の前と後でのコンサルティングをとても重視しています。ご来店になったお客様によると、今まで経験されたそれよりも長い時間がかかるそうです。
 
A でも結果は間違いなく良いでしょう。
 
野村 お客様に聞いてみましょうか(笑)。
 
A あなたの顧客をずいぶんたくさん知っていますが、皆さん大変満足されていますよ。
 
野村 ありがとうございます。

フルートの修理と音程との関係

A ところで、フルート修理において、音程が期せずして悪くなってしまうということはありますか?あるいは修理によって音程を改善することは、可能なのでしょうか。
 
野村 ある程度の改善は可能だと思います。いくつかのケースでは、チューナーで測ることのできるピッチそのものを調整でき、これは良くも悪くもなる可能性があります。また、チューナーでそれほど出てこなくても、吹き手と聴き手の両方にはっきり分かる種類の違いを作り出すことも、場合によっては可能です。
 
A その効果は音色によってもたらされるものかもしれませんね。音色の違いがピッチの変化と誤認されるということを頻繁に経験しました。
 
野村 そうですね。そのあたりを整えるのは極めて繊細な調整が必要なので、綿密なコンサルティングが必要になります。
 
A それはありがたい。私たちフルーティストは、音程を楽器にもずいぶん依存しますからね。
 
野村 お客様がお見えになると、楽器の状態を分析するとともに、その方独自の表現を理解しようと努めます。音楽的な意味でも、言葉という観点からも。ある状況をどういう風にご説明されるのか、それにも個人差があります。そのうえで楽器の機能面がどうなっているのかを把握し、関連性を見つけるのです。
 
A 最初に私が「楽器は声の延長である」と言った話に戻りますね。
 
野村 はい。そして楽器は体全体の延長にもなるべきなのでしょう。奏者が感じている問題と、その時の楽器の症状を同時に理解することが、解決法を導き出す早道だと思います。それが先ほどお話しした、“橋を架ける”ことにつながります。
 
A オーヴァーホールにはどのくらいの時間が掛かりますか?
 
野村 楽器の状態やご予約状況にもよりますが、通常は5営業日くらいです。
 
A 次の質問は、もう少し答えにくいかもしれません。オーヴァーホールが必要になる間隔は?平均的な年数というものはありますか?
 
野村 いろいろな要素を考慮する必要はありますが、プロの方ですと平均で3年から5年くらいです。
 
A それはとても長いですね。私がまだオーケストラで吹いていた頃、ドイツの楽団では1年おきにオーヴァーホールのための修理代を都合していました。もっともずいぶん昔の話なので、今は違うかもしれません。
 
野村 趣味で演奏する方はもう少し長く使えることが多く、平均で5年から8年くらいでしょうか。趣味で吹かれる方の場合、プロの使用環境よりもメカニズムの磨耗が少ないことが多いので、その部分の修理を除外したパッド全交換も可能です。消耗部品の一括全交換や分解洗浄のときも、メカニズムの修理が必要なければ料金的にも安くなりますし、所要日数も短縮できます。プロ奏者の場合は演奏時間も長い傾向にあり、また楽器を持ち歩かれることも頻繁にありますので、オーヴァーホールをお薦めすることが多いです。

プロとアマチュア、修理の仕方に違いは?

A プロとアマチュアの楽器で修理の仕方が違うのでしょうか。
 
野村 品質ということに関して違いはありません。修理の前と後で楽器の響きが違う、というのは、職業としてフルートを吹いていてもそうでなくても体感することだと思います。ただ、プロの方は演奏環境がそれ以外の方とは違ったり、個別の要望がより多くあったりするので、そういった要素は考慮に入れます。また、小さいお子さんは特有の注意が必要です。
 
A プロのフルーティスト相手よりもアマチュアの方が仕事は楽ですか?
 
野村 (即答)いいえ(一同笑)。
 
A お客さんが試奏するのを聴くことはありますか?
 
野村 いつもとは限りません。プロの方にはお願いすることが多いですが、趣味で演奏する方は恥ずかしがられる場合も多いので、その際はおひとりでの試奏になります。しかしいずれにしても、ご来店時は必ずお客様ご自身に確認いただくために試奏をお願いしています。
 
A 修理中に作業を見せていただくことはできますか?
 
野村 ほとんどの作業で可能です。興味津々でご覧になるお客様もいらっしゃいます。
 
A それは良かった。私も作業を見るのは大好きです。いろいろ勉強になりますし。
 
野村 作業によっては同席していただくことをこちらからお願いすることもあり、これは個別のセットアップをする際にお試しいただきながらフィードバックを受けるために必要不可欠です。既にお話ししたように、楽器の性格を極端に変えようとしているわけではないのですが、それぞれの楽器が本来持つ特性の範囲内で、特定の楽器が特定の奏者によりフィットする可能性というのは常に考えられます。そういう意味では個別の調整をすればするほど、その楽器の性格がより色濃く出てくるというのが私個人の印象です。既存のフルートに何かを付け足そうとしているのではなく、楽器からその特色を引き出す行為と捉えています。答えは楽器それ自体と、お客様とのコンサルティングの中に含まれているのですから。
 
A 楽器の診断をする際にチェックリストを使われているのを見ました。フルートのどんな点を見ているのでしょうか?時間をかけて診断されていて、本当にお医者さんみたいです。
 
野村 できるだけ多くのことを見つけるようにしています。作業全体のバランスを考えた時に、必ずしも手を入れることが必要ではないかもしれない部分も含めて。リスト自体は楽器の機能的な側面をほぼ網羅していると思いますが、特に重要なのはパッド合わせ、キィの連結、フェルトやコルクなどの消耗部品、バネ、キィのあそび、ジョイントなどです。
 
A たくさんのフルートを修理する以上、診断から実際の修理までにタイムラグが生じるかもしれませんから、何かを忘れたり別の楽器と混同したりしないために記録を残されるのは良いことなのでしょうね。
 
野村 そうですね。そしてこれは修理記録用紙としても使っています。
 
A 修理が済んだ項目もこれで確認するということですね。
 
野村 はい。そして長期間にわたってこの用紙を保存します。私の経験ではそういう記録を残すことによって、楽器個別の状態が把握しやすくなります。
 
A 楽器がどういうふうに吹かれているのか、ということでしょうか。
 
野村 そうです。そして将来的に起こりそうな問題や、オーヴァーホールなど大掛かりな修理の間隔を予測したりもできます。

根気と注意力、そして……

──優れた修理技術者であるために、必要な才能は何だと思われますか?
 
野村 特に重要なのは……根気でしょうか。私自身それがあることを願うばかりですが、いずれにしても作業台の上で起こることというのはすぐにはっきりとした結果を返してくるものばかりではありません。それでも修理技術者として、またお客様の側から見ても望ましい結果を得るために、それは必要な要素だと感じます。それから注意力も。多くの場合、成否を分けるのは、本当にわずかな細部の違いです。
 
A もう一つ、野村さんの際立った才能を挙げてもいいですか?それは好奇心です。それがなければ発展もありません。あなたの才能と技術を考えると、新たなフルートメーカーを立ち上げることは運命づけられているようにも思えますが、フルートや頭部管を製作することは考えていますか?
 
野村 ありがとうございます。現在は本当に良くできたフルートが数多くあり、そのどれもが技術的に、また芸術的にも大きな可能性を秘めています。ですから、そういった楽器から能力を最大限に引き出していくという挑戦だけでも十分に面白いと感じています。
 
A それこそ、あなたの能力の本質ですね。今日はフルート修理師という、あなたの職業に迫る大変興味深いお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。私も次の人生ではぜひフルート修理技術者になりたいと思います。歯科医になる勉強の過程で得た器用さと、一生を賭けた音楽家としての能力を組み合わせることができたらいいですね(笑)。ご成功をお祈りしています。(日本語で)ガンバッテクダサイ。
 

(アルソ出版株式会社様のご厚意によりザ・フルートVol.142 / 2015年4月号より転載。→出版社公式ウェブサイトへ