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フルートの持つ個性と「魂」、響きをいかに呼び起こすか

──お二人の出会いを教えてください。
 
アドリアン(以下A) 15年くらい前、野村さんがヤマハフルートの欧州アーティスト・リレーション担当・専任技術者になった時です。電話を掛けてこられ、ミュンヘンにある私の自宅を訪問したいと言われました。そうして野村さんが私にとって当時のヤマハの窓口となったのです。
 
野村 2000年の夏のことでしたね。
 
──野村さんはヨーロッパでリペアマンとして長く活躍されていましたが、多くのフルート奏者を見てきたうえで、アドリアンさんの素晴らしさを教えてください。
 
A 良いところだけでお願いしますね(笑)!
 
野村 (笑)卓越した芸術性については私から申し上げるまでもなく、既に語り尽くされていると思います。私自身フルート製作者、あるいは修理師としては、楽器が新品であるか修理品であるかに関わらず、アドリアンさんの楽器評価の確かさというものに助けられてきました。それから、次のステップをいつも私に決めさせてくれるということにも。
 
──では、アドリアンさんから見た野村さんは?
 
A 本当に親切で礼儀正しく、かつ非常に有能な技術者だと思います。彼の作業の仕方、そしてフルートをいかに改善・開発していくかという理解力に感心し、実際にこれまで多くの改善点を一緒に見つけてきました。私にとってそれは修理技術者における新たな美質でしたね。修理者はたいてい、楽器を完成時の状態に戻す最善の方法を見つけることに専念するものですが、彼はいつもその先へ行くことができた。それはユニークな才能で、彼の助言を求めるフルート奏者全員にとって有益だと思います。
 
──フルートの修理において、アドリアンさんが重要視することは何でしょうか?
 
A 私にとってフルートは個々の人間のようなもので、ただの機械ではありません。フルートというのはキィが動く単なる道具ではなくて、それぞれに個性と「魂」を持っています。そしてその「魂」というのは、フルートの響きを司るものです。その響きをいかに呼び起こすかが、フルートの修理や製作で最も大事なことのひとつであると思います。
 
──野村さんが特に努力されているのはどのような点ですか?
 
野村 やはり、フルート1本1本の個性を見極めて、それぞれの最大限の能力を引き出すことです。それらを、所有者であるプレイヤーとの関係性の中で見つけていくことを考えながら仕事をしています。

類稀な才能に囲まれ、学んだこと

──奏者として、アドリアンさんが理想とするフルートとは?
 
A 私自身を音楽的に表現することを可能にするだけでなく、その助けとなってくれるものです。師匠のジャン=ピエール・ランパル先生が弟子たちに言っていたのは、聴き手がフルート演奏に感心するのではなく、奏でられる音楽そのものに関心を寄せ、それを楽しんでもらえるくらい上手な演奏を目指す、ということでした。語るのは音楽であって、楽器ではありません。聴衆は素晴らしいフルート演奏についてコメントするのではなく、どんな楽器が使われているかすら気づかないまま音楽に心を動かされるべきなのです。フルートは奏者の声の延長であるということ、それが私にとって大変重要です。そして楽器をそういう方向性で響かせる術を理解したうえで、楽器を作ったり直したりしてくれる技術者を見つけることも、同じくらい大切です。
 
私から野村さんに質問ですが、日本人のフルート修理師である野村さんが日本国内よりもヨーロッパで有名だというのは非常に興味深く、また矛盾に満ちていると思います。これはどういうことでしょう?
 
野村 そうですね……仕事を始めたのがヨーロッパだったからでしょうか。音楽や技術の専門教育をそちらで受けたことも影響しているかもしれません。有名かどうかは分かりませんが、もし欧州で私の名前をご存知の方が多くいらっしゃるならば、そういったことが理由なのかと思います。
 
A あなたはとても有名ですよ。多くの同僚たちとの話題によくのぼりますし、いなくなってしまって(註:野村氏は2013年に帰国)皆が残念に思っています。
 
野村 ありがとうございます。
 
A あなたの名前は、ヨーロッパではプロのフルーティストやそのお弟子さんたちの間に知れ渡っています。母国の日本でもじきにそうなるといいですね。あなたは本当にそれに値すると思います。あなたが現在置かれている状況というのは音楽家のそれにとても似ているようです。音楽家が特に若いうちに留学すると、あっというまに本国で忘れ去られてしまうというのが常です。残念なことに、多くの若い演奏家がそういったことを経験します。羽ばたこうとしている若きプレイヤーたちは他にもたくさんいるし、忘れられないためにはそこに居続けることが必要不可欠だから。
 
野村さんもとても早い時期に留学されたそうですが、おいくつだったのですか?
 
野村 18歳でした。
 
A その前は日本で何を?
 
野村 武蔵野音大の附属高校で、佐伯隆夫先生にフルートを師事していました。卒業後は国内での大学進学ではなく、海外を選びました。
 
A そして聞くところによると、さらにフルートを勉強するためにブダペストへ行かれたということですね?
 
野村 はい。ローラント・コヴァーチ先生に師事しました。
 
A 私もハンガリーの出身でコヴァーチさんもよく存じていますから、これにはとても興味をそそられます。あなたがハンガリー語で話しているのを聞いたことはありませんが、勉強されましたか?
 
野村 ある程度は。率直に申し上げると、もっともっと勉強しなければならなかったと思います。とても難しい言葉であるとは感じましたが……。
 
A それはあなただけではないです(笑)。
 
野村 今考えると、言葉を学ぶことの本当の必要性というものを理解するには、少し若過ぎたのかもしれません。
 
A 外国語を習うというのはもちろん教養を深めてはくれるけれど、ご心配なく。ハンガリー語自体はハンガリーに住む時やハンガリーの文学に興味がある人以外にはさほど重要ではない、と言わざるを得ません。国外の日常生活では、さしたる需要がありませんし、900万人くらいしか使わない言語なので。東京の人口と比較してみると......どのくらい?1300万?はい、これにて弁解成立(笑)。実際それよりも、私が日本語を習ったほうがずっと役に立ったでしょうね。でもハンガリー語を話し、世界中で活躍する音楽家の割合の高さを考えると、少し話せるのも良いかもしれません。
 
ハンガリーには何年くらいいらしたのですか?
 
野村 2年半ほどです。
 
A 有名なリスト音楽院に入学されたのですね?
 
野村 はい。
 
A とても優秀なプレイヤーだったのでしょうね。
 
野村 そうでもなかったようです。でも音楽院では、類稀な才能に恵まれた他の多くの学生さんたちの演奏を聴くことができました。その後ヨーロッパの一流オーケストラに、首席フルート奏者として職を得たような人たちです。私自身はそこまで行くことができませんでしたが、その環境からは多くのことを学びました。以前ジュリアード音楽院の学部長が、乱暴に聞こえるかもしれないと前置きした上で、音楽学校の本分は将来性がないと思える学生にそれをわからせること、と言われたという話を本で読んだことを思い出します。
 
A 実にその通り。ただそれは本当に難しいことです。でもできるだけ早い方がいい。
 
野村 早い時期に知ることができたのは、私にとっても良いことでした。その意味でリスト音楽院は私に最高の教育を施してくれたのだと思います。21歳で次の道へ行けたのは、おそらく幸運だったのでしょう。

伝統的な技術の必要性とは

A その後もフルートとともにありながら、修理・製作という別の角度からそれに携わることになったのですね。決断は難しいものだったのでしょうか?
 
野村 昔から家であれこれ作ったり直したりすることが大好きでした。そういう興味と音楽を結びつけたらどうだろう、と思ったのがきっかけです。
 
A その勉強もハンガリーで?
 
野村 いいえ、木管楽器製作と修理を習える英国の学校に入学しました。
 
A 英国のどちらですか?
 
野村 ノッティンガム州ニューアークです。学校は当時ニューアーク・アンド・シャーウッド・カレッジと呼ばれていました。その後近隣の学校と合併して、今はリンカーン・カレッジというそうです。木管楽器製作・修理のほか、ヴァイオリン製作やピアノ調律のコースなどがあります。
 
A そこの木管楽器コースに入られたのですね。
 
野村 そうです。伝統的な手法によるクラリネット製作と木管楽器全般の修理を、3年間全日制の課程で履修しました。
 
A 卒業後、すぐドイツへ?
 
野村 1年くらい経ってからです。初めてアドリアンさんにお目にかかったのもその頃でした。当時ドイツのフランクフルトにあったヤマハアトリエで内定をいただいた後、日本にある工場でヤマハのやり方を学ぶように言われました。
 
A 本当に幅広い、国際的な教育を受けられたのですね。日本とハンガリーでフルートの演奏、イギリスで楽器修理と製作、そして日本の楽器メーカーと。
 
野村 そうさせてもらえたのは大変幸運だったと思います。私としては、フルート以外の木管楽器の知識を少しは持っておきたいと考えていましたし、当時英国で習ったようなヤスリがけや鍛造などの伝統的な工法は現代における商業ベースの環境では学びづらくなっているようです。高度な機械類があると、そういった手作業の必要性が薄れるのかもしれません。
 
A コンピュータと同じですね。そればかりが使われて、手で文字を書くということをしなくなりました。
 
野村 そういった伝統的な技術が、現在商業ベースに乗っている製法とは時に違うことがあるということは、在学中から認識していました。ただ、何かの理由で機械が使えない状況があっても、技術が身についていれば対応できる幅が広がります。

楽器の個性は変えられる?

A 日本のフルート製作者になるための教育というのは、ヨーロッパのそれとは違うのでしょうか?
 
野村 これだけ多くの優れたメーカーが日本国内にあるという事実ひとつをとっても、状況は他のどことも違うのではないかと思います。
 
A フルートのリペアマンにとっては、フルート製作に専念するのが良いことなのでしょうか。それとも、フルートの演奏やフルート以外の楽器を扱える修理製作技術など、幅広い教育というものが助けになるのでしょうか。
 
野村 私個人に関して言えば、様々な種類の楽器を扱う上で培った知識や技術は、20年近くこの仕事に携わってきた今でも活用しています。フルートの演奏を専門的に学んだことも、修理前の問題を理解することや修理後の状態を確認するのに役立っています。
 
A 修理によって楽器の個性を変えることは可能ですか?楽器の個性とは、そもそもいつ備わるものなのでしょうか。製作が始まる時、それとも完成する時ですか?もし完成時であるならば、修理技術者がそれを変えることは可能ですか?
 
野村 とても良い質問ですね。
 
A 実のところ私自身もそれに対する答えを用意しています。パッド(タンポ)合わせのやり方次第でフルートの反応や響きが様変わりしませんか?そしてパッド合わせは修理技術者の主な仕事のひとつですよね?ということで私の意見としては、修理技術者は間違いなくフルートの個性を変えることができると思います。
 
野村 おっしゃる通り、フルートの個性の一部はパッド合わせなど仕上げの段階で創られると思います。その反面、修理技術者が変えられない部分もあります。それらは仕上げ以前に楽器に備わっている部分です。楽器の個性を創るというのは、設計の段階から既に始まっているのだと思います。
 
 
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(アルソ出版株式会社様のご厚意によりザ・フルートVol.141 / 2015年3月号より転載。→出版社公式ウェブサイトへ